行きたいリスト
城下町サイクリングコース
会津若松のシンボル ”鶴ヶ城” 周辺を巡ろう!
会津若松市のまちなかには、会津の先人達のご紹介スポットが数多く点在しています!碁盤の目のように区画された城下町は、道幅が狭いため、自転車でまちなかを周遊するのもオススメです!
会津若松駅から電動自転車のレンタサイクルもございますので、是非活用ください♬
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会津若松駅で自転車をレンタルして出発!
移動時間:約15分
1

甲賀町口郭門跡

唯一現存する郭門の石垣
  • 甲賀町口郭門跡
会津領主、蒲生氏郷(がもううじさと)は若松の町割りを行い、城下町を武士の住む郭内と町人の住む郭外とに分け、郭内と郭外の間は深い濠(外堀)と土塁で区切り16の郭門(かくもん)を設けました。この外濠は戊辰戦争後の明治4年に田畑にする条件で払い下げられほとんどが埋め立てられました。この甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門の一部です。
移動時間:約5分
2

松江春次記念館

シュガーキングと呼ばれた実業家
  • 松江春次記念館
松江春次は明治9年(1876)、会津藩士松江久平の次男に生まれ、苦学の末、東京高等工業学校(現・東京工業大学)を出て、大日本製糖に入社し、日本で初めて、角砂糖の製造に成功した人物です。ちなみに春次の兄は、映画「バルトの楽園」の主人公・松江豊寿である。春次は第一次大戦後、南洋群島が日本の委任統治となると、国策会社南洋興発を設立してのちに社長となり、サイパン島での製糖事業に大変苦労され成功を収め、「南洋開発の父」と呼ばれました。昭和14年(1939)、33万円を会津工業学校(現・会津工業高等学校)に寄付し、これによって機械科などが増設され、春次の功績に感謝し、会津工業高等学校の中庭には胸像、正門近くには記念館が建てられています。
移動時間:約7分
3

天寧寺町土塁

若松城の追手として最重要点
  • 天寧寺町土塁
この土塁は蒲生氏郷が会津に入部し文禄元年(1592年)若松城の改築に着手した際に築造されたとされ、若松城の追手として最重要点でした。また、外郭と内郭を区画した若松城の土塁の遺構で市内に現存するものはわずかであり、貴重なものです。「甲賀町口門跡」、「天寧寺町土塁」、「三の丸堀跡」の三ヵ所が国指定史跡若松城跡として追加指定を受けました。春になるといち早く桜が咲き誇り、通りを通る人々の目を楽しませるスポットです。
移動時間:約7分
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会津若松市歴史資料センター「まなべこ」

先人に憧れ、郷土に誇りを持つ学びの場
  • 会津若松市歴史資料センター「まなべこ」
「先人に憧れ、郷土に誇りを持つ学びの場」をコンセプトに、会津の歴史や文化、先人に関することなどを気軽に楽しく学ぶことができる施設です。会津の歴史をつくってきた先人をはじめ、会津の暮らしなど、テーマを変えながら紹介していきます。また学習コーナーでは図書の閲覧や市史のDVD鑑賞もできます。入館料は無料ですので、お気軽にお越しください♪
移動時間:約5分
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会津若松市立第二中学校門柱・赤門

  • 会津若松市立第二中学校門柱・赤門
観光都市として知られる会津若松ですが、明治時代後半から昭和時代の戦前期までは陸軍歩兵連隊が駐屯する軍都でした。栄町に建設された兵営(現在の会津若松市立第二中学校付近)には、約4,500名の兵士が生活していたといいます。太平洋戦争の終戦後に連隊の兵営は解体され、現在確認できる痕跡は正門の門柱(会津若松市立第二中学校門柱・赤門)などごくわずかとなっております。
移動時間:約3分
6

田中玄宰屋敷跡

会津藩家老で三代の藩主に仕えた名宰相
  • 田中玄宰屋敷跡
田中玄宰は、会津藩家老で三代の藩主に仕えた名宰相。34歳で家老に任じられた際、会津藩は天明の大飢饉でした。玄宰は藩主容頌に領民の救済と藩政の改革を願い出たが受け入れられず、一時病と称して辞職。その間兵学や経済について研究し、一年後復権の際に藩政の大改革「天明の改革」を提言し大きな成果をあげました。また、藩校「日新館」を創設、会津藩が文武ともに天下の雄藩となる基礎を築きました。会津藩樺太出兵の最中、61歳でこの世を去り、「わが骨は鶴ヶ城と日新館の見えるところに埋めよ」と遺言し、墓はそれらの見渡せる小田山の山頂にあります。
移動時間:約1分
7

鶴ヶ城三の丸エリア

  • 鶴ヶ城三の丸エリア
三の丸は、お城の区域内に置かれる曲輪の名称であり、二の丸の外側の曲輪を指します。お城はいくつかの曲輪を並べて構成され、三の丸は二の丸を守る役割を担います。曲輪(くるは)とは、堀や石垣、土塁で区切られた区画のことです。曲輪以外にも「郭」や「廓」も”くるわ”と読み、意味は一緒です。
移動時間:約3分
8

五軒丁濠

土塁と石垣が織りなす壮大な城郭
  • 五軒丁濠
鶴ヶ城児童遊園を抜け、五軒丁濠(別名牛沼)の遊歩道を、自転車から降りて押して歩いてみるのはいかがでしょうか。このお堀は内堀となり、観光コースからは外れており普段なかなか通らない道となります。また住宅のあるところは昔は米蔵があったようで、米蔵の外側には外堀がありましたが、現在、外堀は残っておりません。またお堀の水は、猪苗代湖が水源となっています。この猪苗代の水が飯盛山の洞門を通り鶴ヶ城のお堀にながれ阿賀川そして日本海へと流れ出しています。
移動時間:約7分
9

新島八重生誕の地

幕末のジャンヌ・ダルク
  • 新島八重生誕の地
NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン・山本八重(新島襄の妻)は、会津藩の砲術師範であった山本権八(ごんぱち)・佐久夫妻の子として、現在の会津若松市に生まれました。幼少期から非常に活発で、男まさりな性格だった八重は、裁縫よりも砲術に興味を示し、兄・覚馬(かくま)から洋式砲術の操作法を学びました。白虎隊の悲劇が今もなお伝わる「戊辰戦争(会津戦争)」、そして 「鶴ヶ城籠城戦」において、八重は、髪を断ち、男装してスペンサー銃を持ち銃撃戦に参加します。「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれるようになったゆえんは、こんな奮闘する姿からきているのかもしれません。
移動時間:約10分
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諏方神社

郭内で唯一の神社
  • 諏方神社
会津大鎮守・諏方(すわ)神社は、会津大鎮守六社のひとつで格式の高い神社です。また戊辰戦争では激しい戦いが繰り広げられた場所らしく、木製の二の鳥居には会津戊辰戦争の時につけられたと思われる弾痕があり、境内には会津藩士・野矢常方の碑石があります。諏方神社の例祭は、毎年7月27日に行われる盛大な祭りで、神輿渡御や屋台、露店が並び、多くの人で賑わい、また、境内では様々な催し物が開催されます。
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