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ひとやすみ、ちょっとしたコラムなどの紹介
  会津にまつわる人物や会津に関連するお話を紹介します。
 
ひとやすみ メニュー
・野口英世の青春時代 ・新選組を訪ねる ・会津の彼岸獅子
・会津の三泣き ・会津弁大辞典 ・会津五街道+ONEをたどる
・会津桜紀行  

  野口英世(のぐちひでよ)の多感な青春時代
 
かいよう医院跡(現在 喫茶店)の外観写真
レトロな雰囲気を漂わす、 会陽医院跡の喫茶店
 平成16年に新千円札のモデルになった世界的細菌学者 野口英世(のぐちひでよ) 博士は、1876年(明治9年) 11月9日に生まれ、1歳半(1878年/明治11年 4月)のときに左手に火傷(やけど)をおい、15歳のときに会津若松市の会陽医院(かいよういいん)で手の手術を受けました。その後、同医院の書生(しょせい)となり、3年間、渡部鼎(わたなべかなえ)先生のもとで医学を勉強しました。大町四ツ角(おおまちよつかど)の近くにある会陽医院跡は現在、喫茶店として利用され、2階は野口英世青春館として関連資料が展示されています。周辺には博士の多感な青春時代の思い出がいっぱいつまっています。平成17年5月には、この通り沿いに野口英世青春広場がオープンしました。
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  会津にある新選組(しんせんぐみ)を訪ねる
 
斎藤はじめの墓写真
阿弥陀寺境内にある斎藤一の墓 (藤田家之墓)
 新選組は京都守護職(きょうとしゅごしょく)を引き受けた会津藩主 松平容保(まつだいらかたもり)の配下にあり、会津とは密接(みっせつ)な関係にあります。鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いから敗走に敗走を重ねた新選組が、最後の戦いの地を会津に求めたのは当然のことかもしれませんね。会津若松には副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)投宿(とうしゅく)した七日町(なのかまち)清水屋旅館(しみずやりょかん)跡や湯治(とうじ)をした東山温泉、土方が自ら埋葬(まいそう)したといわれる天寧寺(てんねいじ)の局長 近藤勇(こんどういさみ)の墓、松平容保の墓がある会津藩主松平家墓所、三番隊組長斎藤一(さいとうはじめ)率いる新選組が奮戦(ふんせん)した神指町(こうざしまち)如来堂(にょらいどう)、七日町阿弥陀寺(あみだじ)の斎藤一の墓などゆかりの場所がたくさんあります。
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  会津に春を告げる彼岸獅子(ひがんじし)
 
彼岸獅子舞写真
春の風物詩「会津彼岸獅子舞」
 笛と太鼓の音色に合わせ、3匹の獅子(しし)が舞いながら会津に春を告げるのです。北会津町の小松彼岸獅子舞(こまつひがんじしまい)は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の最中、この獅子団を先頭に会津藩の兵士たちが敵軍の包囲網(ほういもう)突破(とっぱ)して、堂々と籠城中(ろうじょうちゅう)鶴ヶ城(つるがじょう)に入城したといいます。この功績により「(あおい)御紋(ごもん)」を与えられたという逸話(いつわ)が残っています。会津若松市には小松彼岸獅子のほかに天寧獅子団(てんねいししだん)下居合獅子団(しもいあわせししだん)滝沢獅子団(たきざわししだん)などがあります。
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