本文へ移動
トップページへ移動
会津若松を知る … 概要/歴史/人物/味覚/物産/歳時記/地図
会津若松を歩く … 史跡/観光/体験教室/食事処/交通機関/宿泊施設
[あいばせ]から … 散策モデルコース/修学旅行体験記/ひとやすみ
教育旅行支援! … 携帯貸出/各種連絡先/リンク

会津若松市の歴史
 

がもううじさとの肖像画 会津若松市は福島県の西部、四方を山で囲まれた会津盆地の東南にあります。すでに、4世紀には大和政権(やまとせいけん)の下で東北の要衝(ようしょう)でした。

平安時代初期には空海(くうかい)最澄(さいちょう)論敵(ろんてき)として日本仏教史上に名を残した名僧徳一(とくいつ)によって会津に仏教文化が華開きました。

武家社会に入り葦名(あしな)氏が長い間、会津全域を支配していましたが、天正17年(1589)に伊達政宗(だてまさむね)によって滅ぼされました。正宗の支配は1年余りで、その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命を受けたキリシタン大名蒲生氏郷(がもううじさと)が会津を治めることになりました。氏郷(うじさと)黒川(くろかわ)といわれた地名を若松と改め、七層ともいわれている天守閣を築くとともに、城下町を整備しました。また、漆器や清酒といった産業にも力を入れました。

その後、越後から上杉景勝(120万石)が入り、執政の直江兼続(なおえかねつぐ)の指揮で神指城(こうざしじょう)を築こうとしましたが、関ヶ原(せきがはら)の戦い後、米沢に移されました。

地震で崩壊(ほうかい)した天守閣を五層に再建するなど若松城の大改修を行った加藤(かとう)時代を経て、寛永(かんえい)20年(1643)徳川秀忠(とくがわひでただ)の子、三代将軍家光(いえみつ)異母弟(いぼてい)保科正之(ほしなまさゆき)(23万石)が藩主となりました。正之は四代将軍家綱(いえつな)補佐(ほさ)役として幕政にも参画(さんかく)し、文治政治(rt>ぶんじせいじ)基礎を固めました。

会津藩三代藩主正容(まさかた)から松平(まつだいら)の姓を許され、御三家(ごさんけ)に次ぐ格式を持ったのです。

その後、松平時代はおよそ200年続きましたが、文久(ぶんきゅう)2年(1862)京都守護職(きょうとしゅごしょく)に就いた九代藩主容保(かたもり)孝明(こうめい)天皇の信頼を得て治安の維持に努めましたが、慶応(けいおう)4年(1868)に戊辰戦争(ぼしんせんそう)へと突入していったのです。 開城時の鶴ヶ城の写真。 このときの白虎隊(びゃっこたい)の少年たちの物語はあまりにも有名です。

明治32年(1899)に福島県内で最初に市制が施行され、現在は人口約12万8千人の会津地方の中核都市に発展しています。

会津の人々は、厳しい紀行風土での生活、幕末期の敗戦による過酷(かこく)な経験によって、耐え忍ぶ我慢(がまん)強さと「ならぬことはならぬ」という矜持(きょうじ)と気質を持っています。また、食文化をはじめ独自の生活文化が今なお根強く残っています。

  会津の歴史詳細
  旧石器・縄文・弥生・大和(古墳)時代
  奈良・平安時代
  鎌倉・室町・安土桃山時代
  江戸時代
  激動の時代、幕末から明治維新
  明治時代から現代

リンクアイコン トップページにもどる
会津若松観光ビューロー
〒965-0873 福島県会津若松市追町5-10
TEL:0242-23-8000 FAX:0242-23-9000